《国葬ニ思フ》
古来日本では亡くなった人は黄泉の国という別世界へ行って、生前良いことをした人は幸せに暮らし、たとえ悪いことをした人でも穢れ(ケガレ)として恐れ祀り、生きている人は関わらないようにしていた。
その後仏教が入ってきて、死者は仏になるとするようになり、善人悪人共祈りの対象として来た。
ところが西隣の大陸では、自分が殺していない敵の死者は、敵の身内が葬った墓をあばいて遺体を掘り起こし、棍棒で殴り刀で切り刻んできた。
そうしないといつ生き返って来て、自分が厄いを被るか分からないという発想である。
かの国と我々との違いは、地勢図的違いによる文化の違いであって、どちらが良いとか悪いといった問題ではないが、同じ仏教を受け入れた国であってもそれ以前の記憶が優先され、人々の精神を形作っていることは興味深いことである。
さて今回の《国葬》を認めるか否かと騒がしい議論を眺めていて私が思うのは、認めないと墓をあばいている人たちの心には、どうも大陸的匂いがして、それは隣国のプロパガンダが影響しており、日本人の脳の一部がそれに踊らされているような気がしている。
安倍の悪事を忘れたり、うやむやにするべきではないが、ここは一旦丁寧に葬って、事実は整理し記録すべきと私は思っている。
それが戦争犯罪人をも靖国で祀る国の方法であって良いのだろうと考えている。
ギターソロは時代遅れか?
ギターソロは時代遅れか?という記事をよく目にします。
ん~、総じて言えばそうなんですよね。
ギターソロに限らず主張の強いものは敬遠される時代になりました。
私のようなパワー系のボーカルなんて論外なんですよね~。😄
ボーカルが終わって、いざ!と見得を切ってギターが出てくるさまは、格好良すぎて格好悪いみたいな。
暖簾をはたいて出てきて、両手を広げて笑う三波春夫を見てるような気恥ずかしさが漂ってしまいます。
実は脇役なのに、ここだけは俺の世界さ!と主張する痛さ、そんな空気を察する世の中になったという事でしょうか?
いや、本当は我々が日々生きている中で、そのようなことを常々行っている事の痛みが、鏡の向こうに透けて見えてしまっているのかも知れませんね。
とかくこの世は生きにくいもんなんですよね。
で、ボーカルが素晴らしいかと言えば、最近の流行歌は全然そうでもなく、歌詞の作り込みも甘く、素人っぽさが売りの薄っぺらな使い捨ての曲が多いように感じるのは年のせいなんでしょうね、きっと~。😄
今は家庭何とかだって?
大学時代、学食で飯を喰っていると「ちょっといいですか?」と話しかけてくるのは、決まって学会か原理研だった。
前者は今の利益に固執する事に特化した歪んだ仏教観を信じ込み、後者は我田引水だけの勝手なキリスト教だった。
どちらも一度論戦に入ると論破するのに2~3時間掛かる。
その後に残るのは、冷めたラーメンの不味さだけだった。
どちらも一度入会すると逃れられそうにない強面の部分は見えたが、入るまでの私のような論者には丁寧に接していたように思う。
それより浅くて、うつろな目が恐ろしげだったのはエホバの証人とか、出てきたばかりのオウムの前身のような集団だった。
これらは見るからにカルトで、人の意見などを聞く耳のない、ki印そのもののように見えた。
論文のエサに、彼らや共産主義系の暴力集団などともずいぶん話したが、そこから得たものは、誤った考えにたどり着いた者たちの考えを変えてやろうとか、諭してやろうなんて、全くの徒労だということだ。
なぜなら彼ら自身が、全くの時間の無駄づかいをして、そこにたどり着いているのだから、彼らを我々と同じ人間と考える事自身に無理があり、無駄なのだ。
違う世界でこちら側と接点がないように生きて行けばいいのに、たまに暗殺者を生んだり、隣の国に攻め行ったりするのが厄介だ。
オレオレ詐欺やヤクザ者の厄介さとはまた違う、心を蝕まれた人たちの、別の臭いのする、果てのない寂寞さというか荒涼さがある。
人がひとり、一生を生きると言うことは、かくも大変な事なのだなぁと、改めて思っている。
《AU》
地図を見てると、やっぱ日本はこれからヤバくなりそうですな。
ロシアと中国の二国が、ここは自分の領土だと言ってるのは日本だけなんですよね。
中国の西には何とかスタンと言う国がたくさんあって、その向こうがカスピ海で、ヨーロッパはその向こうになりますよね。
行きたくても行けないんですよ、モンゴル帝国じゃないんだから。
ロシアは今、西に攻め行ってますけど、これは西のほうが重要と考えているからでしょう。
いつかわかりませんが、本気で沖縄の人は元々中国人だ、アイヌの人はロシア人だと難癖を付けてくるのは間違いないことでしょう。
日本と同様に台湾・韓国も悲惨なことになりますよね。
またフィリピン、インドネシア、ベトナム、タイあたりの南シナ海も中国に今後ますます侵食されるでしょう。
これからも我々が生き残るには、マレーシア、ミャンマー、ラオス、さらにはパプアニューギニア、ニュージーランド、オーストラリアを巻き込んだ経済圏を、早く確立するしかないように思いますね。
特にオーストラリアを入れないと、西洋各国はテコ入れをする度合いが減ると思います。
黄色い猿たちだけではダメと思いますねぇ。
EUのまねをして、通貨を統一して、連合軍を作っておかないとアジアはオワコンになるでしょう。
AUつまりアジアユニオンが必要と思います。
携帯と違って、繋がりやすいものになりますように、祈念しときます。
《その後》のその後を書き足しました
細胞再生技術も見つけていたんだろう?
飛躍的に寿命が延びて、無熱光が明るくこの星を照らしていたと思うよ。
この統一国家のようなものを、またいずれ分断が訪れるのだから意味がないと考えるものも出てくる。
しかしそれは間違いだ。
感情をコントロールするものが論理なのだ。
その論理に従うことがいずれできるようになる。
いや、できるようになる生命体だけが生き残れると言うわけだ。
ただ厄介なことに、この星の生命体の神経集合組織を調べてみたが、他の星と少し違う。
《その後》
そうか、間に合わなかったか。
量子コンピューターもまもなく本格稼働だったようだな。
IT社会が進み、AI技術ももう少しでシンギュラリティを迎え、うまく行けば楽に過ごせたはずだ。
IPS細胞も見つけていたんだろう?
飛躍的に寿命が延びて、LEDが明るくこの星を照らしていたと思うよ。
残念だったな。
多くの星の生命体がこの完成形の直前で、こうやって自ら破滅するんだ。
中性子連鎖解放型爆弾か、彼らがこの兵器を無力化する技術を見つけられなかったのはなぜだと思う?
それはな、見つけたくなかったからなんだよ。
こうやって生命のあだ花は消えてしまうんだ。
よく見ておけよ。
もうだれもこの星の生命を弔うものはいないのだから。
せめて俺たちがこんな星があったということを覚えておいてやろう。
そう言って、数千年前に滅んだ小さな恒星の第三惑星を調査に来たものたちは去って行き、放射能の残る砂塵だけがこの星の表面を舞っていた。