《おのおのがた御油断召さるな》

緊急事態宣言が解除されるそうで、これでやっとコロナも終わりか~やれやれ~、なんて思っていませんか?

これから冬ですよ。

だってワクチンも半分以上終えたし~。

日本の半分くらいの人口のイギリス、フランス、イタリアなどの死亡者数知ってます?
だいたい日本の10倍ほどの11~13万人くらいですよね。
それも前のアルファだったりベーター株ですよね。 

これはヨーロッパの国の人が不潔だったりイケイケだったりするわけではなく、ウィルスが一度に入ってきたんじゃないかな?と思うんですね。 

これから流行るであろうものの感染力は凄まじいと聞きます。
さらに今後万一、他の哺乳類に移ったものが人間に返ってきたりすれば目も当てられない事態になるでしょう。

国はもうすぐgo to なんとかです、もう大丈夫だから出歩いてお金を使ってチョ、と言います。
でもね、76年前この国の為政者が何を言ったか何をしたか、よもやお忘れではないでしょうね?

手のひらを返されて笑って死ねますか?

どうぞ皆様、自分を信じて自分の感覚を頼りに、流されることのないよう、この災禍を乗り切ってくださいね。

とは言うものの経口、点鼻ワクチン、治療薬などの開発は進んでいます。

それよりコロナが怖いと病院へ行かずガン検診が止まり患者が激増するとの予測もあります。

遊ぶのも大事、お金も大事ですが、やっぱり命あっての物種です。

終わりのない戦いの始まりにいると言うことをお忘れなく、そのくらいに思っておいていいようにと、爺は思ってるんですよ。

《パンセちゃん曰わく》

途方に暮れたとき、行き詰まったとき、困り果てたときなどに、必ず誰かが助けてくれてやっと目的にたどり着いた経験があって、不思議に思った人も多いんじゃないかと思いますが、実はそれは不思議でも何でもないんです。

それは人間のセーフティネットのようなもので、人はお互いみんな感知しあって助け合うようにできているんです。

河原の葦は細くて弱いけれど、何本も集まれば風になびきながらも折れずに生えています。
パスカルもきっとそれを見て感じたのでしょう。

我々も考えましょう。
ワクチンを打たずにコロナ禍から逃れられるのか、今人が集まればどうなるのか、医療を崩壊させない方法は何か、がけ崩れや鉄砲水から逃れるにはどこに住めばいいのか、何のために生活保護という制度があるのか等々。

人を信じることができずに批判に終始していては葦のアシモトにも及ばないことでしょう。
煽動家や批判家、欲深い人、愛のない人から離れましょう。
生きるということは考えるということでもあるのです。
宗教に逃げずに、政治にかまけずに、これからも生きてゆきたいと私は思っています。

《小山田圭吾・小林賢太郎》

彼らの共通点は苗字に『小』が付いていて名前のイニシャルが『K』だが、そんなことが問題になってるわけではない。

 

オリンピックの開会式にまつわる仕事をしていた彼らが相次いで糾弾され解任された。

理由は現在52歳の前者が障がい者へのいじめ暴行を高校生くらいまでしていたのを256歳の頃に無反省に吐露していたこと。

後者は現在48歳でこれもまた25歳の頃、ホロコーストを揶揄したコントを作り演じていたことのようだ。

 

やったことはもちろん悪い。

解任されて当然だ。

そもそもオリンピックのような祭典に参加すべきでないし、心からの反省も必要だ。

 

しかし敢えて言う。

衆人環視の昨今、異能の人たちは標的にされ、叩かれ、引きずり降ろされる格好の的になっている。

 

敢えて言う。

人の歴史で徳が高く高潔な聖人君子が何を為したであろうか。

裏のない政治家・経営者がどれほどいるという。

芸術もまたネガティブな心の裏返しなのだ。

 

そのどちらも持ち合わせていない小市民のつまらん、しかし強烈なしっぺ返しが今、この世界ではびこっている。

自粛警察しかり文春・新潮しかり。

 

Kさん二人のこれまでの作品を知っている人がどれほどいるだろう。

彼らの凡人と異なる、正に異次元の才能をここに葬ることに意義はあるか。

マスコミもそんなことは重々承知の上、彼らの関わっている番組等を中止するだろう。

保身しなければならないから。

 

敢えて言う。

あなた方の不倫や我々の犯罪的行為・差別心、無知などが問題とされないのは、あなた方や我々に能が無いからだけなのだ。

 

猛省すべきはチクリ屋も同じ。

鏡を見て己を知れ。

 

ここで彼らの才能を奪うことこそ許されざる行為だ。

私は静かに再起を待ちたい。

25歳の頃の自分を乗り越えられなかった50歳が、これからどんな仕事をするかが私の興味の的になった。

 

歌え、踊れ、笑え。

 

そして前に進め。

 

世間や自分に負けるな。

 

ボートは後ろ向きに漕げ。

《と思うわけなのよ》

アメリ
ブラジル
東芝
三菱
などの例を見ずとも

国や企業は
人と同じで

慢心
おごり
の大きいものは

被害を大きくして
立ち直りが大変だ

と思うわけなのよ

芸能屋
スポーツ屋
教育屋
政治屋
両替屋
などに関わらず

自分たちの
心が

どのあたりにあるのかを
しっかり
把握しないと

原爆を落とされて

いくさに
負けることになる

と思うわけなのよ

過去の教訓を
咀嚼して

赤ちゃんに
伝え
食べさせるのが

年寄りの

存在意義
なのだ

と思うわけなのよ

昨今雑感

「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
皆様よくご存じの、親鸞が子供の頃、得度を願い出て、夜なので明日にしようと言われた時に詠んだ句と言われているものです。
 一向に止む気配のないコロナ禍にあって、妙に心に響く気がします。
都会では医療はとっくに崩壊しており、人々に今できるのはその日その日を精一杯生きることくらいではないでしょうか。
 怒りや苦しみを投げかける相手が分からず、政治的対応のまずさや自分勝手な人たちなどに矛先が向かっていますが、なぜこんなことになったのかと根本的な所を考えれば、それはつまり無知な人が森へ入ったからでしょう。
 山には人の入ってはいけない所があります。
自然と対話しながら暮らしていると山が「これ以上こっちへ来るな」という点があるのが分かります。
それに気付かない人が入るとわざわいが起こります。
これは今流行りのスピリチュアルなんとかではありません。
ヤバイ場所、それはガスだまりだったり、得体のしれない病原体だったり、我々に害を及ぼす動物だったり・・・私はそれを「悪の臭い」と呼んでいますが、それらが巣食う場所や通り道があるのです。
 
私は今回のことは、それらを”おかして”しまった結果だと思っています。
それは私ではないし、あなたでもないでしょう。
しかしそれは人類の罪、無知の罪、感覚麻痺の罪なのではないでしょうか。
人が自然から離れると、ますますこのようなことがこれからも起こり続けるでしょう。
生活は人工の中でもせめて心は自然の中で、自分たちも自然の一部ということを肝に銘じて、謙虚さ・感謝の気持ちを忘れず暮らしてゆきたいものです。
皆が怯えずに暮らせる日が戻ることを切に願うばかりです。
 

《鼻血ブー》

私にとって61年前の誕生日(3/7)から38年前の結婚記念日(3/13)の『幸せ週間』の中に、10年前に割って入って味噌を付けたような日が今日だ。

 

やっと10年? 

まだまだ10年? 

何を言ってるんだ!

この事件(事故ではない)が終わるのはいつか知っているのか?

10万年以上先だぞ! 

 

1ページを10年掛かって読むとすれば、罪と罰戦争と平和カラマーゾフの兄弟、嗚呼無情、巌窟王千夜一夜物語、人間の条件、ドグラマグラハリーポッターの全巻を読み終えたくらいの頃にやっとこの物語が終わるのだ。

 

むろんその頃にはこんなものを喜んで読む人は何処にもいない。

次の次の次の人類のようなものが、地下深くの地層を調べてバカな生物の汚点を見つけるだけだろう。

 

そんなことを我々は仕出かしたのだ。

 

さぁ見果てぬ先の生き物にどう謝るか、この10年の間に殺した生き物にどんな申し開きをするか思いを馳せながら、今開いたばかりの1ページ目の真新しい匂いを嗅ぐがいい。

 

ただし気を付けて嗅げよ、嗅ぎ過ぎたら鼻血が出るぞ。

 

老眼でも読める概要の書いてあるサイト↓

http://chtgkato3.med.hokudai.ac.jp/lecture/NuclearPowerPlantAccident.pdf

 

安全という主張↓

https://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2014022700013/

 

(プルトニウム239半減期24,110年らしいですが、半分になれば安全とは限りません。また悪影響を及ぼさないと言っている人もいますが、それが正しいとしてもその主張は人間にとってはという視点での話です。)

《最後にしよう 終わりにしよう》

もし生きていたら先日100歳を迎えていた私の義父は9091まで長生きした。

米寿に連れ合いを亡くす頃まで車の運転をしていて周りはハラハラしたが、ともかく元気だったし頭のほうも特許をいくつか持っているような人で明晰だったように思う。

しかしその頃から少し認知症が始まった。

 

ある日から寝る前に部屋の窓という窓全部にシーツやタオル、服などを掛けるようになったという。

面倒を任せていた近くに住んでいる義姉が何をしているのか尋ねると、灯りが漏れないようにしているという。

どうも部屋の光が外に漏れるのが気になっているようだった。

 

また風呂上がりに身体中をドライヤーで乾かすようになった。

「湿気ていると病気になるからな。」という。

 

特に誰かに迷惑をかけているわけでもなく、神経質になっているのかなと思っていたが、ある日こんな話をしだした。

 

『台湾に行きたい。

俺は台湾で人を殺した。

行って祈らないといけない。

謝らないといけない。

許してくれるだろうか。』

 

詳しく聞くと戦争でアメリカ兵を3人撃ち殺したという。

そして義父の行動の理由が分かった。

野営をしているときテントや木の枝で作った寝床から光が漏れては即、死につながるのだ。

亜熱帯の気候は湿度も高く、ずっと体が湿気ていたことだろう。

 

頭が昔に戻ったのだった。

彼は今も戦地に居るのだ。

70年以上心のどこかで戦地をさまよっていたのだ。

 

義父はその時銃弾で頬を撃ち抜かれ傷病兵として終戦前に帰って来れたらしい。

その後すっぱいものが食べられなくなったと笑っていた。

 

話を聞いた当時私は何とか彼を台湾に連れて行こうと画策したが、体調も思わしくなくなって行き、断念してしまった。

 

でも今は、もし行っていたら辛さを増幅するだけだったかもしれないので、連れて行かなくてよかったと思っている。

 

私の父親は戦争に行く直前で終戦になった。

その父は開戦前に病死している。

母方の祖父は鉄工所を経営していたので軍需産業として兵役を免除されていたらしい。

私が唯一戦争体験を聞けた親族はこの義父だけだ。

 

最晩年、家に行く度にアルバムを取り出して、懐かしそうに目を細めて戦友の説明をする笑顔が思いだされる。

 

戦争は前ので終わりにしなければいけないと改めて思う。

それは我々やこれから生きる人々にしか出来ない大切なミッションなのだ。

 

たま~にまじめになるタイに在住の友人が下のURLを紹介してくれたので思いだして書いた。

 

 

https://teamimoto.jp/?fbclid=IwAR0VERB2yT1bzo3Z4g8fKX2m5s2I2dWzmda2sEUCYQLsyogJIXnh2tA-5b0

 

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これを書いてから少し調べてみると台湾にはアメリカ軍は上陸していませんでした。
空襲で爆撃は受けたようですがアメリカ人と戦うことは迎撃して落下傘で降りてきた人としか出来ません。

おそらく義父の記憶違いで、戦争をしたのはルソンかマニラかビルマか分かりませんが東南アジアのどこかで、療養先としてまず台湾に帰ってその後本土に帰って来たのではないかと思います。
そして福岡の病院に長い間居たとも言っていました。

記憶の彼方に消え行くのが良いのかどうかは、なるべく正確な記録を残してからにしたいと思います。
もう少し調べることとします。