《スーィサイド》
仏教では自ら命を絶っても良いケースが三つ示されているという。
一つは、この世においてすべてのことを為し終えて、もう何もすることがなくなったとき。
二つ目は他者を助けるために、自らの命を投げ出すとき。
三つ目は命を懸けて己の尊厳を守るとき、だそうだ。
最初のケースは、真言宗のお坊さんなどがやる即身成仏や、あらゆる手立てをしたが病気が治らず、安楽死を選ぶ場合なども含まれると思う。
先刻NHKの番組で、海外で安楽死を選んだ人の特集があったらしいが、それを日本自立生活センターという団体が放送倫理・番組向上機構(BPO)に審議申立書をしたとのニュースを見た。
思うことはそれぞれあるだろう。すり合わせてみればいいと思う。
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190602
次の他者を助けるためというのは、ウサギが腹を空かせている老人のために火の中に飛び込んだという今昔物語や仏教説話があったり、電車に轢かれそうになった人を助けるために、線路に飛び込んで亡くなった人の話などがそうだろう。
このことについては特にコメントは必要ないと思う。
そして最後の、己の尊厳を護るためというのは、大岡正平の小説『野火』に出てくるような極限下で人間を殺して食べるか食べないかだったり、これも先日のニュースにあったが、長崎の入国管理センターで収容されている外国人がハンストをして亡くなったようだが、彼らにしてみれば正にこういった心境だろうと推測できる。
問題は、入官側の「対応に問題はなかった。」という話ではないのだ。
この束縛が、人が人に行う行為かどうかが問題なのだ。
香港でのデモでもとうとう警官が発砲したらしい。
これからも人が人であるために、祈り行動したいと思う。
https://this.kiji.is/550931549485892705?c=174761113988793844