《オリンピック》

一年延びたオリンピックをさらに伸ばすか、いやもう中止するかなどとの意見が巷を賑わせている。
政府は何が何でも開催すると言っているが、止めにした方が良いという意見が七割を超えているという。
 
こんなものの主張を数で決めるべきではない。
多数決を取ったなら止めろという意見が多いに決まっているではないか。
オリンピックに出る人、その親戚、関係者、スポーツ愛好家、儲かる人などが開催を希望しても、そもそもスポーツなんて大嫌いという人もいるし、開催するリスクとしないリスクを天秤に掛ければ、しないリスクの方が軽いに決まっている。
 
お酒を飲まない人がお酒を飲む人を嫌い、お酒なんてなくなればいいと言っているのと大差ないのだ。
飲まない人でも飲む人が嫌いでない人もいるが、飲む大会をリスク覚悟で容認するはずがない。
 
そもそもスポーツとは何か。
戦争や戦い、暴力を昇華させてゲームにして、争いたい人々の心を逃がす役割もあるだろう。
また人間の能力の限界を越える技を競い合い、生物種としての進化を喜び合うという面もあるだろう。
 
しかしできない人、負けた人のやっかみ、妬みも産むので、ゲーム後はノーサイドと言ってみたりスポーツマンシップをことさら強調しているように思う。
スポーツ自慢の人のオツムを疑って溜飲している人も多い。
 
今はコロナを理由にスポーツを快く思っていない人が反旗を翻しているような気がするがどうだろうか。
 
また、戦いの場を民主主義で決められるのか、私は甚だ疑わしく思っている。
このオリンピックに命を懸けている人もいるだろう。
そう言う人の努力を『やめとけ。』の一言で片づけられるものだろうか。
 
人の心を理解しようとせず、主張する人の意見は通らない。
相手のことを分かったうえで自らの信念があるなら述べればいい。
 
スポーツであれ何であれ、理性だけが人を明日へと導くだろう。