《五十年は、いつ昔》

五十年前の今日、父の頬は珍しく紅潮していた。
二時か三時頃小学校から帰ると、自営業の父と母はいつもどうり家にいたがどうも雰囲気が違う。
二人ともテレビにかじりついたまま
「やった、とうとうやった。」などとつぶやき、ひそひそと話し込んでいる。
どこからか手に入れた号外がテーブルの上にあった。
三島由紀夫 割腹自殺』
自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデターか』
文学的には母の方が彼に傾倒していただろう。
彼の初版本は全て母の蔵書だ。
父は三島に遅れること五年の昭和五年生まれで、昭和二十年の四月に熊本の陸軍幼年学校に入隊している。
その五カ月後、国のために働くことも死ぬこともできないまま、はしごを外された格好で世間に舞い戻り、その後政治などには一切関わらず、地方劇団を作り芝居に打ち込み生きていた。
三島の主張はこんなところだ。
憲法アメリカをはじめ戦勝国に骨抜きにされたもので、千年を優に超えるこの国の魂がないがしろにされている。
この国にはかつて侍がいた。
理不尽な外敵には自らの命をも顧みず、果敢に戦い国を守ってきた。
今それをするのは自衛隊でしかないだろう。
なのに憲法自衛隊を軍隊と認めず、手足をもぎ取った形で飼い殺しを続けている。
なぜ立ち上がらないのか、なぜ自らの立場を決めるために命を懸けないのか・・・。
父も父なりに思うところがあったのだろう。
どうせ自ら腹など切らずに介錯されたのだろうなどと冷やかす人々に対しては、猛然と反論していた。
私は当時十歳だったので彼の著作は『花ざかりの森』と『金閣寺』を読んでいたくらいだった。
よくは分らなかったがどうも自己愛に過ぎる匂いを感じていたように思う。
あぁなつかしい昔話、母の米寿の今日、少し思いだして書いてみた。