《自殺》
この30年間のこの国の自殺者が年平均3万人とするなら90万人になる。
隠している場合も多いだろうから実際は100万人は下らないだろう。
(一説によると5倍近く『その他の異常死』があるという)
対人関係ではなく自殺した人もいれば、何人もで彼ら彼女らを自殺に追い込んだ場合もあるだろう。
30年前からも生きている人が大半として、延べて思えば人が100人居れば1人以上は今のこの国に人殺しがいることになる。
それは隣の人かもしれない。
またあなたかもしれないし、私かもしれない。
一方日本は自殺に甘い。
なぜイスラム教徒に自殺者が少ないかもっと検証するべきであろう。
また誹謗中傷は許せないと言いながら、追い込んだ人を徹底的に糾弾する。
そのリンチが連鎖を生む。
ここでも怒りがいかに非生産的かが分かる。
自殺は病だと思う。
精神が振り切れたときにそれは起こるのだろう。
病だから医学的見地から防止のノウハウが確立されている。
もちろん精神科医の薬物大量投与には疑問もある。
倫理学も哲学も医学も及ばないところにいる人たち。
どんな妙薬・妙法があっても荒野に一人いるのであれば、それは届かない。
困ったことに荒野は人ごみの中に存在する。
話せないつらさ、分かってもらえない孤独。
人の間で、もがき続けた果てのこともあるだろう。
それは社会的問題でもある。
全ての人に命の尊厳を知らしめるべきだろう。
それこそが教育だろうと思う。
なんとかしたい。
なんともならないなら、その命と共に、この世も救えない。
2020/5/26
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以前に違う角度から自殺について書いたことがあります。
合わせてお読みいただければと思います。
また、読んで疲れた方は、こんなマンガでもどうぞ。
https://toyokeizai.net/articles/-/346226
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《スーィサイド》 2019.10.2
仏教では自ら命を絶っても良いケースが三つ示されている。
一つは、この世においてすべてのことを為し終えて、もう何もすることがなくなったとき。
二つ目は他者を助けるために、自らの命を投げ出すとき。
三つ目は命を懸けて己の尊厳を守るとき、だそうだ。
最初のケースは、真言宗のお坊さんなどがやる即身成仏や、あらゆる手立てをしたが病気が治らず、安楽死を選ぶ場合なども含まれると思う。
先刻NHKの番組で、海外で安楽死を選らんだ人の特集があったらしいが、それを日本自立生活センターという団体が放送倫理・番組向上機構(BPO)に審議申立書をしたとのニュースを見た。
思うことはそれぞれあるだろう。すり合わせてみればいいと思う。
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190602
次の他者を助けるためというのは、ウサギが腹を空かせている老人のために火の中に飛び込んだという今昔物語や仏教説話があったり、電車に轢かれそうになった人を助けるために、線路に飛び込んで亡くなった人の話などがそうだろう。
このことについては特にコメントは必要ないと思う。
そして最後の、己の尊厳を護るためというのは、大岡正平の小説『野火』に出てくるような極限下で人間を殺して食べるか食べないかだったり、これも先日のニュースにあったが、長崎の入国管理センターで収容されている外国人がハンストをして亡くなったようだが、彼らにしてみれば正にこういった心境だろうと推測できる。
問題は、入官側の「対応に問題はなかった。」という話ではないのだ。
この束縛が、人が人に行う行為かどうかが問題なのだ。
香港でのデモでもとうとう警官が発砲したらしい。
これからも人が人であるために、祈り行動したいと思う。
https://this.kiji.is/550931549485892705?c=174761113988793844