《右翼左翼》

他人を評価するとき、あいつは右翼だとか、こいつは左翼だという人がいる。
そう言う人は大抵自分は中心だと思っている。
つまり自分は正しいと勘違いして生きている。
 
普通左右に分ける規範は、左は反体制的、右は体制を肯定する人たちということになっているが、これは極めて相対的な分け方である。
 
例えばチベット独立を叫ぶチベットの人は右翼だろうか、左翼だろうか。
中国人から見ればチベットは中国の一部なので、反体制であり国家の分断を目指す左翼であろう。
チベットの人たちにとっては外国からやってきた中国人から離れたいと望んでいるわけで、これは自分たちの国を取り戻す右翼的思想ということになる。
(※現在チベット民の総意としての見解は中国からの独立は望んでいない。中国に属しながら文化・宗教・言語などに、しかるべき自治を認めるよう求めている)
 
 
 
わが国では天皇に対する考え方や対外国への姿勢、経済界の方向付けなどが主な争点で、富裕層・貧困層・支配者階級・労働者階級・上流・下流など、経済的・社会的・政治的・思想的などの対立構造の中で入り乱れている。
 
もっと卑近な例で言えば、世の中に不満はあってもそれに追従しているだけの人は、物を申す人を左だと攻撃する。
世の中を少しでも良くしたいと思う人は、黙っている人を右翼の餌だと罵る。
 
私自身はリベラルな態度をとることが多いので、左から見れば右、右からみれば左に見えるようだ。
 
人は他人を評価するとき、自分の秤でその人を見る。
冒頭で述べたように、それでは客観的判断が出来てないことを知り、十分に注意するべきであろう。
 
たぶんより良い社会を作りたいという目的は同じようなものだから、主張が通らない時の怒りや自身が損をした時の欲のはけ口、身から出た錆への諦めなどを良く見据えて、共に人類の更なる高みを望みたいと思っている。