《平和が一番》

夏が来~れば、思い出す~♪みたいな和歌の話。


やっと本物の夏がやってきました。
皆さんもよくご存知の、小倉百人一首で有名な「春すぎて夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」は、持統天皇が詠んだものです。
これは元々、藤原定家新古今和歌集で選んだものですが、実は少々作り替えられています。
大元は「春過而 夏来良之 白妙能衣乾有 天之香来山」であり、「春過ぎて 夏来(きた)るらし白栲(しらたえ)の 衣干したり 天の香具山」となっています。


「来るらし」が「来にけらし」、「衣干したり」が「衣干すてふ」に換えられています。
持統天皇は西暦694年に藤原京を構えたことから、おそらくこの句は700年頃の作でしょう。
一方、新古今和歌集鎌倉時代の選だから、西暦1200年頃のものでしょう。
つまり500年昔の句を選んでいるのです。


「来るらし」「来にけらし」は共に「来たようだ」ですが、前者の方が、「とうとうやってきました!」感が強く、「衣干したり」は「干している!」ですが「衣干すてふ」は「干しているようだ」です。
元の句は、今まさに、ここで起きている事実を詠んでいますが、後者は、昔はこうだったようだ、と詠まれている感じです。


何でこんなこと、するかな~??
だから新古今は「技巧に走りすぎ」って言われるんよね~。
アララギ派正岡子規などは、古今、新古今が大嫌いで、ボロクソにこき下ろしています。
わからんでもないな~。。。


万葉集の中でも第一巻に入れられている和歌というのは、一丁目一番地の唄なので西暦1200年当時の人が受け入れやすいようにしたのかもしれませんが、撰者がどこか自分の存在を歌に織り込んでいるような、いやらしさも匂ってきます。


まぁ、それはそれとして、「夏が来たから、衣を干しているよ」というこの何の変哲もない歌を選んだ眼力は、実はさすがなのです。


持統天皇天智天皇の娘で、大化の改新壬申の乱を目の当たりにしています。
このあたりはWikipediaででも調べていただくとして、その政権争いに明け暮れ、血で血を洗う悲惨な時代を経て、ようやく世を平定できた(と思っている)彼女が、夏が来て(血で赤く染まっていない)白い衣が干されているのを感慨深げに眺めている姿が瞼に浮かびます。


ネットでこの句を調べても、文法の話と風情の話はすぐ出てきますが、時代背景、作者の心境、このさりげない和歌の裏に流れている凄味などに言及しているものは、ざっと私が見た限り皆無でした。
詠まれた句を理解するというのは、国語力だけでは難しく、社会や歴史を知る必要があります。
その上で「心」なり「命」を読むことができればと思います。


もしかすると定家は、昔の平和を鎌倉の世に問うたのかもしれません。
奈良時代から平安時代を経て、また政変が起き、また力が世を動かした。
彼がこの後の戦国時代を予感していたとすれば、やっぱりタダ者ではないですね。


それから早や800年も過ぎて、今の世も中々平和とは言い難い状況ですが、それを望む方が多くなれば、少しずつ理想は近づいてくるかもしれません。


さて、今日みたいな天気の良い日は、白いTシャツでもパリッと乾かしましょうかねぇ~。