《捨て本》 2012年(№1~36)
このコーナーでは本を捨てるために、もう一度読んで別れを惜しみます。
№1
『時には、ツイン・トリップ』
香咲弥須子/山川健一 共著
1985年 冬樹社
皮のつなぎを着たうら若き女性が、バイク(イメージとしてはネイキッドかツアラー)を停めてヘルメットを取ったら、長い髪がフワ~っと風になびくのよ、みたいな本でした。
№2
『しがみつかない生き方』
香山リカ 著
2009年 幻冬社
リカちゃんも大人になったもんだ。
しがみつかないと言う方法にしがみつかないように祈ってます。
№3
『生きにくい・・・・・・』
中島義道 著
2001年 角川書店
賢くて嫌味の無い素晴らしい人もいるけど、この人は・・
本人もおっしゃってる通り哲学病なお方。
哲学の中に沈没しないように気をつけようと思います。
『写真と絵で見る 犬の手入れガイド』
愛犬の友編集部 編
1991年 誠文堂新光社
今飼っている猫2匹が死んだら、もう動物は飼わないと思っているので。
それに載っている犬が古い。
グレート・ピレニーズ、チャウチャウ、狆って・・。
№5
『ブッダと女の物語』
瀬戸内寂聴 著
1981年 講談社
私は昔からこの人が好きじゃない。
そんなに女、女と言わなくても見りゃ分かるっつうの!
ついでに山田詠美や室井佑月も嫌い。
文学としては別ですが。
これを書く8年ほど前に得度しているが、それが本物かどうか見極めてやろうと買ったような記憶がある。
内容は特に目新しいことは何も無く、晴美から寂聴への過渡期の一作。
『寂聴・猛の強く生きる心』瀬戸内寂聴・梅原猛共著、などでもこの人の我の強さがよく分かる。
どこか私と同じニオイがするのがイヤなのでしょう、たぶん。
№6
『ひろさちやの応用仏教』
ひろさちや 著
すずき出版 1996年
どうも私は善良な人やまじめな人、正しいことを言う人を見ると、ほんまかいな?と疑うクセがあるように思う。
「俺の解釈の方が正しいんだぜ、お前らは浅はかなんだよ!」って言われてるような気がする本。
でも知識を得るには必要な本。
知識を智恵に変えるのが、いかに難しいかよく分かりましたよ。
『生き方上手』
日野原重明 著
2001年 ユーリーグ
この方もいかにも善良そうで、ホンマかいな??と思って読みましたが、ホンマに善良なお人でした。
それに人の出来ることの限界を知っておられる。
信念に裏打ちされている強さも感じる。
この方のブログ
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32490
ところで聖路加病院ということで思い出したが、ルカによる福音書の第6章にはイエスは「貧しい人々は幸いだ」と言ったとあるが、マタイによるそれの第5章には「心の貧しい人は幸いだ」と言ったとある。
おそらくいろんな所でいろんな事を言ったのだと思うが、世の中には金持ちで心の貧しい人も、貧しくても心の豊かな人もいるわけで、どっちが天国に近いかはっきりさせてよ、と思ってしまう。
まぁ両方とも貧しい私のような者が一番近いのは間違いありませんが。
№8
『戦慄の脳宇宙』
川田弥一郎 著
平成7年 角川書店
題名だけで手に取った本。
読んで見るとミステリーだった。
気になったのは、主人公の名前が「淡口くらら」と言うのだが、最初は「淡口医師は・・」と書いてあるのが40ページあたりから最後まで「くららは・・」になっている。
おそらく作者の趣味の問題でしょうけど、気になって、気になって。
№9
『嘘 その「ホント」と「ウソ」』
塩田丸男 著
平成3年 日本商工振興会
懐かしいなぁ、まだ生きていらっしゃるのかなぁ。
ジャーナリストはいいよなぁ。
昔ちょっとなりたかったかも。
主題を決めて掘り下げていく手法がまさにジャーナリスト!
いい切れ味です。
この人の名前を読むと「丸出だめ夫」を思い出すのは私だけでしょうか?
『メタモル深層心理テスト』
星野麻雄 著
学習研究社 1991年
この本でいったい私は何がしたかったのでしょう?
ミーハーだったことは間違いないように思います。
№11
『聖なる予言』
ジェームス・レッドフィールド 著
角川書店 1994年
これは当時ちょっと有名になった本なので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
いわゆるスピリチュアル・ネイチャーもの。
このジャンルも結構好き。
実は「聖なる予言2」を買おうとして、間違って同じものを買ってしまい2冊あるのです。(爆)
見るたびに思い出して悔しくなるから1冊は捨てましょう。
『なんでもない話』
青木玉 著
講談社 1997年
なんと言いますか、私には無い、無くなった、日本人の奥ゆかしさと言いますか、言葉を文字にしたときの美しさと言いますか、そんな大事な懐かしいものを思い出させてもらえます。
氏より育ちと言いますが、氏も育ちも良いと、このような上品な人物が出来るのでしょうねぇ。
大切な大切な日本の宝ですねぇ。
№13
『室生犀星詩集 生きものは かなしかるらん』
室生犀星 著 1997年(美しき日本の詩歌)
特にこの人が好きというわけでもないんですが、なぜか気になる人でした。いろんな対象物をじっと見て書かれていますが、私としてはどうも室生さん自身が詩の中に出過ぎているような気がします。
ただ、この時代が特に好きなんです。
石川啄木、高村光太郎、山村暮鳥、北原白秋、萩原朔太郎・・・・
う~ん、たまらん!
『岳物語』
椎名誠 著 1985年
これを読んだのは私の息子が1~2才の頃だった。
著者の息子が小学5年生の頃の話だ。
当時、ふーんそんなものかとだけ感じた気がする。
私の息子が26?27?になった今、改めて読み直してみると果たして私はこんなに息子と距離が近かっただろうかと思う。
彼らよりは随分一緒の時間は多かったはずだ。
彼ら同様、海や山、キャンプ、釣り、スキー、アウトドアへ何十回、何百回と行った。
しかし私は著者のような視点から息子を見ていただろうか。
決してもう戻っては来ない年月を思い返し、何となく胸が切なくなるような気がした。
№15
『素晴らしい歳月』
ライナー・クンツェ 著 1982年
東ドイツ生まれの著者が西へと亡命して書いた本。
表題はアイロニーである。
青少年への思想統制の実態がつまびらかに分かる。
しかしそれの嘘に気付いた子供たちは大人に気付かれないように、自らの内面をはぐらかせて生きてゆく。
散文だが詩人らしく詩的な文章が、管理社会の怖さ、不条理さを静かに訴えかけてくる。
時代が変わりもう読まれることも無いだろう。
感謝を述べて、お別れを言おう。
№16
『いま、「いのち」を考える』
梅原猛、河合隼雄、松井孝典 著 1999年
宗教・哲学、心理学、自然科学からの異なったアプローチが妙。
梅原さんが相変わらずの手法で自説を押すと、松井さんがそれに切り込み、河合さんがそれらを包み込むようにまとめる。
ジャンケンで言えば、梅原さんがグーで、松井さんがチョキ、河合さんはパーである。
『イントゥルーダー』
バッド・ホプキンズ 著
集英社 1991年
皆さんは宇宙人はいると思いますか。
私はいると思います。
では、彼らが地球に来ると思いますか。
私は来ないと思います。
なぜならその必要も無いし、生物の種の寿命と宇宙の時間の単位が乖離しすぎていると思うからです。
まぁ、我々が子供を連れて動物園にでも出かけるくらいの気持ちでなら来るかもしれませんが。
そんな宇宙人が地球に来て人間の生態調査をしたり、妊娠させたりしたということがマコトしやかに書かれている本です。
著者はたぶんキリスト教徒だろうなぁと思います。
彼なりの宗教の捕らえ方でしょうなぁ。。
神よ、30才も過ぎてこんな本を買った私をお許しください。
ちなみに私は、もうかなり前のことですが、SETIホームページのジャスト100万番目の訪問者でした。
№18
『ラヴレターにご用心』
小鷹信光 編
大和書房 1984年
ラブレターがらみのミステリー小説ばかりを集めた本。
怖いですねぇ、ラブレター。
この世で最も怖いのはラブレターかもしれません。
どうしてこんなに恐ろしいものがこの世にあるのか、不思議でなりません。
皆さんもくれぐれもラブレターにはご用心なさってくださいね。
私?
わたしは・・・それ・・・あの・・・
ぜんぜん・・・怖くは無いですよ。。。
どこからでも掛かってきやがれってなもんです!
たぶん・・・
あ、ちょっと待って・・・
もう少し調べるので、それから掛かってきてもらえますか。
№19
『電気回路理論』
成田誠之助 小林侔史 共著
昭晃堂 昭和53年
私がこれまでに読んだ本の中で最も難解なもの。
V1=⊿Z・I1
Z=|Z|εjΦ
M=κ(kではないカッパと読む)12N2=κ21N1
θ=1/2logV1I1/V2I2
とか
テプナンの定理
テレンゲの定理
フーリェ変換
ダランベールの解
って、なんやね~~~ん!!
こんなことを知らなくても電気は点くのであ~~る。。。
『死んでいる』
ジム・クレイス 著 渡辺佐智江 訳
白水社 2001年
ある夫婦が通り魔に殺される。
九相図よろしく死体の変化が書かれる。
夫婦の思い出も展開。
推理小説ではない。
不条理な死。
ここには死そのものが存在する。
評価の低い小説だが、作者は詩的なつもりだったのかもしれない。
キリスト教の影響があるように思うが、背景の無い私にはよく分からなかった。
№21
『放射する思い』
高橋たか子 著
講談社 1997年
夫の高橋和巳の本は幾許かは読んだが、この方のはこれともう1冊・・なんだったっけ?・・くらいのものである。
はっきり言って、よく分からない。
自分の考えを述べているのだが、私にはそのピントが分からない。
当然私がずれている、ということにしておこう。
何を放射されているのか、私には分からない。
№22
『この惑星こそが楽園なのだ』
宮内勝典 著
講談社 1991年
「クリシュナムルティの日記」という本で知った人。
この年代の人って、いろいろやってるよね~。
私より一廻りちょっと上。
後先考えずにしたいことをやってるよね~。
30代後半になって、奥さん子供を連れて海外で暮らそうと思います?普通。
自分に自信があるというのではなく、ようはイケイケなんですよ、この世代の人って。
団塊の世代って自分で何かを作り出すことに躊躇しないんですね。
今の若者もヒドイですが、我々も全然大した事無いなぁ。
ダイナミックさが無いんよねぇ。
『祖国とは国語』
藤原正彦 著
新潮社 平成18年
「聖職の碑」の新田次郎の息子らしく、緻密な頭脳と正義感にあふれている人。
言うまでも無く、我々は日本語でものを考えて生きている。
つまりそれは否応無く日本の歴史を背負っていると言うことになる。
数学者にはこの事に気付いている人も多い。
岡潔、森毅らの言葉が胸に響いた人も多いことと思う。
中1の時に広中平祐の講演会で「国語が出来ないと、どんな学問も伸びない」と聞いた記憶がある。
私は「国語が好きでも音楽はうまくならない」と言いたいが。。
最後の「満州再訪記」の段は中々面白かった。
こちらが本当に伝えたかったことのような気がするが、これを表題にすれば売れないので、最後に持ってきたのだろう。
お主、中々の策士じゃな。
№24
『人間合格』
井上ひさし 著
集英社 1990年
先日、太宰のことを話していて「人間失格」を捨てようと思ったが、もったいなくなって、こちらにする。
太宰治の人生と作品を調べ上げて、ない交ぜにしてパロディ化した戯曲。
戯曲は読みなれていない人には少々読みにくいものだが、この人のは読む事を前提にしているのかしらん??というほど読みやすい。
情景が目に浮かんで来やすい。
他にも漱石や一葉、魯迅などの評伝記もあって、そちらの方が面白いが、作者にとって太宰は書かなければならない人だったように思う。
彼(井上氏)は東北人の代表を自認していたが、それは彼にとって中央が自らのコンプレックスを隠す対象であったことに他ならない。
作者にとって、そんな東京でうらやみ・羨望などを抱えて、ある意味必死で生きて行った同業の先輩が太宰であった様に私は感じる。
作者がどう捕らえたのかは知る由も無いが、太宰の死は彼なりの完璧なストーリィの閉じ方だったと思うが、どうだろうか。
何を持って「失格」とするのか?
何を持って「合格」とするのか?
あるいは、されるのか。
はたまた、してもらえるのか。
それを実は自分で決めなければならないところに、人生の大変さ、面白さ、妙と言うものがあるのであ~る。
№25
『世界の果ての庭』
西崎憲 著
新潮社 2002年
最近、長々と書いているような気がする。
気をつけて、今日着た私のワイシャツの様に書こう。
手短かに、と言いたかったのだ。
どういうのだろう・・この小説は別々の話を切り刻んで、1章、5章、10章・・でひとつの話、2章、6章、11章・・で次の話、と言う風に構成されている。
それぞれの話は取り立てて珍しくも無いものだが、要は幾つもの本を同時に何冊も読んでいるような感じになる。
それが・・話の中を行ったり来たりするのが、ちょうどブランコを漕いでいたり、お酒を飲んでいるような、いわゆる「めまいの遊び」的な感覚・・それがおもしろいのだろう。
私は常に5冊ほどの本を平行して読んでいるので、いつもと同じで、はっきり言って面白くも何とも無かった。
これで奇をてらう事が出来たと思っているのではまだまだでしょうな~。
「庭」と言う感覚はよく分かるが、「世界の果ての」というほどの事もあるめぇよ。
あぁ、また長く書いてしまった。
しっぱい、しっぱい。
『東日本ツーリングガイド』
発行人 深見悦司
成美堂出版 1996年
今日はこの一冊だけ。
いつか行こうと思っていた。
大阪から東が載っている。
国道1号線をひたすら東へ。
名古屋、浜松、静岡、横浜を越え東京へ。
まずは高崎の山田かまち君に会いに行って。
引き返して4号線を行けば宇都宮、白河、郡山。
6号線なら土浦、水戸、いわき。
福島を経て仙台。
ルートを海へ取って、松島、石巻、気仙沼、陸前高田、釜石、宮古。
とりあえず八戸まで行って、イタコを見に行くか、それとも宮沢賢治まで戻るか。
でももう叶わない。
2011年で、道も景色もおすすめスポットも変わって、この地図は使えないものになった。
いつか本当に行ける時が来たら、新しいツーリングガイドを買おう。
一年で最も辛い今日、万感の思いを込めてページを閉じることにしよう。
『大震災・オウム後 思想の原像』
吉本隆明 著
徳間書店 1997年
リューメィ、死んじゃったよ。
この人のどこが好きだったかと言うと、思想の深さとか追求の鋭さではなく、よくある高みから見て我々大衆に物事を教えてやるという態度ではない、事象を見つめる目線のフラットさだったように思う。
ありがとう、リューメィ。
№28
『ビルマの鳥の木』
多田富雄 著
日本経済新聞社 1995年
お医者さんて、物書きをする人が多いよね~。
いいなぁ、賢くって!
お金持ちだし。
日々のエッセイみたいなものや海外事情は特に面白いものではないが、お能の解説は独自のものであり、また、生命体への見解は思い入れの強さをうかがえて興味深いものである。
№29
『往診はサファリの風に乗って』
ルイーズ・ジレック・アール 著
星和書店 1994年
お医者さんて、物書きをする人が多いよね~。
いいなぁ、賢くって!
お金持ちだし。
これの著者もお医者さん。
未開だった頃のアフリカへ単身乗り込み、奮闘するうら若き女医のお話。
呪術しかない奥地でキリスト教の啓蒙にいそしむ牧師を訪ね回り、現地の人に医療を施す過酷な日々。
ところが読んでいると何とも言えぬ清々しさを感じる。
60代の著者の20代の頃の体験記だからであろう。
その若々しさ、彼女の命のみなぎった行動に青春の素晴らしさを感じる。
若い時にどんなことでも一所懸命やっていると、年老いてからそれが磨かれて人格を作り出す。
そんなような気がする。
今頃気付いてもアフターカーニバル。
『C.W.ニコルの海洋記』
C.W.ニコル 著
実業之日本社 発行
昭和62年
私の小学~中学の同級生に小田君という人がいます。
小田君のお父さんは市場でクジラ屋さんをしていました。
いつも大きな包丁でお肉のかたまりを切り分けていました。
うちの家もよく小田君のクジラを買って食べていました。
定番はクジラカツ。
ウスターソースをたっぷり掛けて食べていました。
「もっとキャベツも食べなさい。」とか言われながら。
時々ステーキも食べました。
「やったー!今日はステーキだぁ~!」
その日はなぜか、お皿に盛ったご飯をフォークの背に乗せて食べるのが決まりです。
「大人になってフランス料理を食べに行く時の練習だよ。」と言う言葉を真剣な顔で聞いていたような気がします。
いまだかつて、クジラステーキのフランス料理に出会ったことはありませんが。
父は「オバケ」と言う、なにやら白いベロベロしたものを、黄色い味噌のようなものをつけて酒の肴に食べていました。
一口食べて見ましたが当時の私の口には合わず、まずくてすぐに吐き出したのを覚えています。
15年ほど前、同窓会の幹事をしていた時、いろんな情報から、連絡の取れなかった小田君の行方が分かりました。
私の家のすぐ近くのカツ専門の食堂でコックさんをしていたのです。
私ともう一人の幹事とでさっそくそのお店へ行き、同窓会の案内がてら「美味しいカツを作ってよ。」と頼むと大きなトンカツといっしょに、昔から大人しかった小田君が少しはにかむ様な顔をして「これ、俺のおごりや。」とビールを1本出してくれました。
帰る時に厨房の中から声がしました。
「俺、店があるから同窓会行かれへんけど、ありがとうな。」
小田君はきっと本当はクジラのカツを作ってみんなに食べさせたいのだろうな。
カツと言えば私たちにはクジラのことなんだから。
この本を読んで、懐かしい思い出がまたひとつ蘇りました。
それとあの頃以降、何故クジラを取れなくなったのか、その理由も分かりました。
それは、アメリカの牛肉を日本人に食べさせる為だったんですね。
彼らがグリーンピースやらを使って(野放しにして)反日感情を助長させたようです。
今我々はまんまと彼らの術中に、はまっています。
これはあの時、あの頃、自分たちの意見をしっかり主張しなかったからかもしれません。
今の原発再稼動の問題も根は同じように思えて来ます。
今、日本が原発を完全に止めれば、せっかくアメリカが34年ぶりに東芝が作る原発を買ってくれるかもしれない話がオジャンになるかもしれないし、第一、現在104基も使ってるアメリカに面と向かって「うちはヤメます。」って言えないんじゃないかなと勘ぐってしまいます。
自国の利益ばかりを考えるのはなぜでしょう?
それは自分のことばかり考えるのが人間で、動物で、生物だからでしょう。
だからそれは批判できませんが、どちらが自分にとって、自分たちにとって、人間にとって、生物にとって『得』かもっとよく考えてみてはどうかなと思いますね。
昔、C.W.ニコルが宣伝していたホーキンスの登山靴を買って、散々な目にあった私が言っても詮無いことなので、皆さんが一人一人思っていることを声に出して言ってみて下さいね。
世の中と言うものは皆さんで出来ているのですから。
『平成幸福音頭』
藤原新也 著
1993年
文芸春秋 発行
知ってる人は知ってる、知らない人は知らない、どっちかと言うとアウトローっぽい人。
雰囲気的に、名前も似ているので私は「藤竜也」を思い浮かべる。w
この国の年号が変わったと言うことは、この人をしてこんな本を出させるほど、インパクトの強い事件なんだと当時思ったような記憶がある。
これより15年あまり前、高校生の頃クリシュナムルティにかぶれてみようとしていた頃、この人の「印度放浪」などを読み、ぜひ印度へ行かねばならないと思った。
類は類を呼び??、周りの人が彼の地へ旅立つ中、私はひとり動けなかった。
椎名誠がどこかに書いていた。
「印度へは、行ける人と行けない人がいる。」
そう、私は行けない人であったのだ。
ご存知の通り、平成と言う年号は1989年から使われ始めた。
一言で言うと私はこの平成を「フワフワした時代」だと思っている。
私にとっては、この少し前に出始めたオウムの、あのピンク色の特攻服を着た女性たちの踊りこそが「平成」のイメージそのものである。
一遍になれなかった麻原。
それは人を導く覚悟の差だったと思う。
結果から見れば大罪人の麻原も、宗教史観からみれば只の小物である。
そんな小物に易々と騙される、そんな小物の行動を易々と見過ごした時代、それが我々のいる平成であるように思う。
自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の責任で行動する。
そんな人は本当に少なくなった。
フワフワした組織の中でそれをやってるつもりの人は多い。
でもそれは違う。
それは命を得て生きているのは本当は己一人なんだと心の底で知る人と、知り合いに囲まれて照れ笑いをして過ごす人生を良しとする人との違いであるような気がする。
(両方出来ればこの上ないことだが。)
開国をして、戦争をして、敗れて、辛酸をなめ尽くして、やっと峠を越えた所に待っていた時代。
それがこの、幸せな、子供さえもが、ハーブを買い、堕胎をし、携帯で横に繋がり、魂の所在の見えない、この平成という時代なのである。
最後に現場主義の藤原新也(1944年生まれ)が村上春樹(1949年生まれ)に吠えた記事を載せておこう。
おじいちゃんたち、頑張れよ。
俺たちももうちょっと、がんばるから。w
http://www.masrescue9.jp/press/fujita/back_no/fujita13.html
『訴訟のしくみと方法が面白いほどわかる本』
山崎 和義 著
2003年
中経出版 発行
とある、許せん!と思ったことに、訴訟を起こそうと思って手に入れたが、ある時以下の文章を読んで急に気持ちが萎え、ヤ~~メタ!と思い直してしまったので、不要になってしまった。
たぶん、ありがとう、宮沢さん。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
№33
『ひとかげ』
よしもとばなな 著
2006年
幻冬舎 発行
私はこの作者が嫌いである。
第一この名前が気に入らぬ。
芭蕉の生まれ変わりとでも言いたいのか。
何のつもりか知らないけれど、この名前の奇のてらい方が鼻に付く。
(たぶんこれは私の独りよがりの解釈)
彼女が30歳くらいの頃に書いた『とかげ』と言う小説を40歳くらいの時にセルフカバーしたもの。
『ひ』という一文字を足して作品に違う意味を与えられるものだろうか。
内容は良くなってる、というか上手になってる。
描写力など、格段だ。
でも過去の自分の発想力に負けてるように思う。
本人はこれをして良かったという。
良かったと言ってくれという。
蜥蜴は冷たいながらも生きているものだが、人影は(心の内面の)残像でしかない。
この本を出されたと言う事で、たった10年ほどでこのように変化しうる人間と言うものの面白さを見せてくれた作者にお礼を言いたいような気になった。
どうも、ありがとう、よしもとさん。
№34
『いのちの音がきこえますか』
柳澤桂子 著
2002年
ユック舎 発行
内容はいわゆる生命科学の本で、取り立てて珍しいことも無く、ターゲットを女子高生にしている為、読んでいて邪魔くさい、今の言い方で言えばイタイ所が多々ある。
RNAとDNAの違いに興味のある女子高生が、その生命の営みをお月様が見ていたと言った風な表現を好むとは思えないがどうだろうか?
内容よりも私は、彼女の大変な人生から得た、ものの考え方に大いに興味があり、よく読んだ人の一人である。
30歳の頃から、たぶん神経系の病気だと思うが、60歳くらいまで30年間『毎秒痛い』という状態が続いていたという人生が理解できるだろうか?
彼女はそれを堪えて生きてきた。
毎秒、痛いのである。
そんな彼女が行き着いた先は、自己と宇宙の一体化である。
「大変ですね」「かわいそうに」
そんな言葉が心に刺さる日々。
彼女が考えたのは、自己があるから嫌な思いもする。
自己を滅却しようと考えた時、一つの魂が宇宙と結びついた。
私は聖書の「ヨブ記」を思い出す。
神は何の落ち度も無いヨブを試す。
私はそんな神がいたら決して許さないが、我々には試練に対しては耐えること以外に方法が無いのも事実である。
たとえ実存主義的に、人に存在目的が与えられる前に人が先行して存在しているとして、神は居ないとしても、試練は山のように襲い掛かってくる。
彼女にとって自己の滅却と言う神秘体験は、神と己の一対一の話し合いが出来たと言うことだろうと思う。
命とはなんぞや?
自己存在の不条理。
彼女は『神』と言う言葉は使わないが、もし宗教に存在価値があるなら、この人をして以下の言葉を紡ぎ出させたこともそのひとつであろう。
彼女の般若心経の心訳(こころで訳したと言う意味であろう)『生きて死ぬ智慧』である。
コピペ問題があるかもしれないので、URLを乗せるので、下のほうにあるので読んでみて下さい。
http://blog.livedoor.jp/longpa/archives/50121347.html
『ブッダの真理のことば 感興のことば』
中村 元 訳
1991年
岩波書店 発行
著者名は書かれていないが、たぶんお釈迦さんの弟子であろう。
「真理のことば」というのはパーリ語という言葉で書かれた「法句経」の日本語訳で、「感興のことば」はサンスクリット語で書かれた同様のお経である。
と言っても生憎私はどちらの言葉も知らない。
ブッダの「つぶやき集」のようなお経である。
元々1978年に発行されたものらしいが、私は文庫本を読んだ。
二つ続けて読むと後者の方が詳しく、(よりしつこく、同じことが繰り返し繰り返し)書かれている。
たぶん前者を読んだ人がサンスクリット語に訳す時に、自分がうまいと思った表現を取り入れて、勝手に作ったのだろう。
それをこの日本人の訳者がなるべく自分の考えを入れないように訳してくれている。
ただし、『注』をよく読むと結構それが入ってしまっているように見える。
その内容を私がここで書いても、それは私の読み方なので、他の人が読むと全然違った印象を持つだろうし、つぶやいた本人や作者や訳者の意図する所とカイリしたものになるのはしかたない、と前置きした上で書き留めておく。
全ては自分から始まっている。
欲も生も。
それゆえ、自ら心を修養しなければならない。
肉体に執着するな。
情欲
憎しみ
迷妄
高慢(慢心)
愛執(妄執)
煩悩(怒り)・・カッコ内は「感興のことば」による。
そんなものに惑わされているうちに、人生は終わってしまうのだよ、ワトソン君。
そう言われて、ハイそうですか、と恐れ入ることも出来ずに私は、湿度96%、摂氏30度に成りなんとする、暑い暑い瀬戸内海の夜を過ごす。
ふと梅雨空を見上げれば「悔しかったら今晩はビールを飲むのを止めてみれば?」と、2500年の彼方からアルカイックスマイルが降り注ぐのである。
前に読んだときにはさほど気にならなかったのに、なんでかなぁ~??
特にこの中沢氏、いろんな文献の引用、応用が多くて、それらを調べてるうちにこの本から離れてしまって、森の中に迷い込むということになる。
若い頃、浅田彰などと共に日本におけるポストモダンの旗手として現れた頃はもっとスパッとした物言いで、頭切れまくりのお兄ィちゃんだったが、さすがにこの年になると人も熟してくるんだなぁと感慨深いものがある。
この本を読むにあたって私が参考にしなければならなかった本
「意識と本質」
「コーラン」
「文明の衝突」
「悲しき熱帯」
「生き方としての仏教」
「ラテンアメリカの旅」
「真理の花たば」
「大日経」
「華厳経」
「神の微笑」
「人間の運命」
その他、ユングの共時性、ハイゼンベルグのマトリックス力学、ライプニッツの予定調和などに関する本などなど。
で読後思ったこと。
①物質とはナニか?
②生命とはナニか?