《おかね》
このニューコロナで世界中の損失が最終的には100兆ドルとも200兆ドルともいわれています。
と言われても想像できませんよね。
アメリカの国家予算が4兆ドル前後、中国・日本は2兆ドル余りでしょうか。
世界中のお金の総額が1600兆ドルと言われますから、1割ほどのお金が消えることになりそうです。
全体では1割でもその分布は偏りがひどく、持ち合わせがまったく無くなってしまう人も多いはずです。
明日のコメ(パン?コーン?)が買えない、夜逃げせざるを得ない人があふれる、それは悲惨な社会状況になるのは間違いないでしょう。
私はベーシックインカムが最良の施策と思い推奨してきましたが、もっと良い方法を考えました。
と、考えたつもりでネットでちょこっとクリックすると、
あるわあるわ、なんぼでも出てきまんねん、これが!(^^)
それは何かというと、この世からお金を無くすという方法です。
何をたわけたことを!
と思われる方も多いでしょう。
それでは調べてみましょう。
(後で思いだしましたが、これは二十歳の頃一度考えていて、その後忘れてしまっていた方法でしたが)
まずメリット。
お金の心配をしなくて済むようになる。
お金に携わる職業が無くなる。
全部タダになる。
犯罪も極端に減る。
取り締まる側・裁く側の人も少なくて済む。
レジ業務もなくなる。
お金で買える幸福を求めずに済む。
ギャンブル依存症などの病気も減る。
他人が汚い手で触った紙や金属を触らなくて済む等々。
(ここで無くなった職業の方は、他の得意なことで働きます。)
デメリット。
人が怠け者になる。
欲が無くなる。
人生の目標が無くなる。
他人と自分を差別化しにくくなる。
ほかに何かありますか?
一番の問題は怠け者が増えて働かなくなって、生産が委縮し幸せから遠のけばどうしてくれるんだ、ということでしょう。
しかし考えてみてください。
皆さんは何のために働いているのでしょう。
お金のためでしょうか。
お金を得て生活の心配から解き放たれて、
人よりぜいたくな生活をし、
やっとお金を手に入れた後で買えない幸せに気づき、
コーヒーカップ片手に揺り椅子で夕日を眺められるんですよね。
それは頑張ったり、あるいは人よりうまい方法を思いついたり、賢かったりするからだけでしょうか。
職業に貴賤は無いというのはどういうことでしょう。
医者や教師や議員や銀行家、資本家などの仕事と、他の仕事と、人の能力の差に貴賤はあるのでしょうか。
またリタイヤした人が毎朝近所の道路でゴミを集める行為はどうでしょう。
そんなものをお金という尺度で測ること自体、いびつな行為と思いませんか?
人はお金のために働いているのではないというのは分かると思います。
お金は手段であって目的ではないですから。
それでは人は何のために働くのか。
どう答えます?
私は、人は人のために働いているのだと思います。
人は人の幸福のために働くのだと思いませんか?
思うことはできませんか?
それをお金に変えなければならない理由は、本当は存在しないと思います。
お金なんて、もうイヤだ、消えてなくなってしまえ!
もしこの世の51%の人がそう思ったなら、お金のない世界は夢・絵空事では無くなるでしょう。
みんなが自分にできる、なるべくしたいことで懸命に生産し、お金を媒体としない信頼と調和を軸にした社会を形成できないと決めつけるのは、考えること想像することを拒否する行為だと思うんです。
とは言うものの問題は山積みです。
要はなるべく平等にってことなんですけど、
じゃ宝石が欲しい人はどうするの?
欲しいダイヤモンドを欲しいだけもらえるの?
1km四方の土地にひとりで住みたい人が増えたらどうするの?
そうなんです。
これの実現には欲の制御が必要です。
欲の中でもマイナスの欲であろうものを理性や社会教育などで排除する必要があります。
考え方によっては非常に危険なことで、社会主義や共産主義の台頭を促すようですが、うまくやれないことではありません。
例えば約100年前までは気に入らない人を殺して、海に放りこんでもバレずに罪にならないことがたくさんありました。
海水浴というレジャーがなかった理由は、海にはよく死体が浮いていたからだと言われています。
今ではあまりそういうことは起きませんよね。
時々起こりますが。。。
人の倫理は時と共に上昇しているのです。
教育の進歩や取り締まりの強化ということもありますが、もっと大きな理由は人々が裕福になったからでしょう。
衣食が足りると礼節を知ることができます。
社会に役立つことをすれば、十分食べられて必要なものも手に入り、幸せに暮らしてゆける社会なら、誰が好き好んで人のものを盗むでしょうか。
誰が他人の幸せを壊そうとするでしょうか。
やっとこの世に物があふれるようになった今からなら、お金がカタキのこの世の中で、そのカタキに巡り合わずに済むように、葬り去ることができるように思います。
何十年か何百年先かわかりませんけれども、そういう夢があってもいいように思います。
私は次の人類に、このような希望を持ちたいと思っています。
みんながそうだと言えば明日からでもできますけどね。
そこは中々・・・ですね。
具体的にはまずこのような考えを広めることから始めないといけません。
私のあまり好きでない有名人も似たようなことを言っていますので、その人を担ぎ上げてもいいかもしれません。
明日の生活が心配な今、こんな荒唐無稽に見えるようなことを書くのは無神経で高邁なことかもしれませんが、力強く生きてゆくには理想は欠かせないはずと思って書きました。
ご高察をお願いします。