《雨を想う》 2012/08

最近、際(きわ)をつけると言うことをよく考えている。

仏教で言う5欲の内、財欲はもともとあまり無く、色欲は10年ほど前から殆んど無くなっているが、飲食(おんじき)欲はまだ結構ある。
名欲はないつもりだが、例えば舞台で歌を唄いたいというのもこれに入るのだろう。
しかしそれもだんだんと確実に減って来ているように思う。
睡眠欲、これを欲に入れた理由が分からないが、これは自然に任せている。

例えば科学技術に付いて行こうとする姿、新しい電化製品を買ってその取扱説明書を読み、理解しようとしている自分を斜め後ろの上、45度くらいからもう一人の私が眺めて、その滑稽さに思わず顔を歪ませる。
またシリアの内戦情勢を見聞きするに付け、原発反対のデモを見るに付け、自分の考えと異なる人を許さない、いわゆるバカの壁を越えられない人たちの悲しさを想う。

テレビが南極、北極の氷が減って来ていると嘆いている。
動物、植物が毎日何百種類と絶滅していると叫んでいる。
すべて人間のせいだと金切り声を上げる。

私はなにもしない。
安寧を求めるわけでもなく、政治や制度を変えたいとも追従しようとも思わない。

際をつけたいと思うのも欲だろうか。
こんなことを誰かが読むことを想定して書くのも欲だろうか。
ただ最近かなりの頻度で、潮時、引き際、死に際などの言葉が私の周りを飛び交っている。 
かといって精神状態がよろしくない訳でもない。

たぶん心が少し疲れているのだろう。
生きることに飽きてしまい出したのかもしれない。
病気でもない私がこんなことを言っては不謹慎だろうか。

いつの間にか亜熱帯になったこの国の片隅で、何十日も降らない雨を想いながら、コオロギも寝始めたようだ。
明日必ず起きる当てもないが、私も寝ることにしよう。
見た目以上に、老けてしまった命を抱きながら。。。