《欲》

最近欲しいものがない。

何かおいしいものを食べたいとも思わないし、どこかいい景色を観に行きたいということもない。

素敵な女性と出会いたいわけでもなく、唄も昔のように歌ってみたいとも思わない。

高級な車・時計・酒・服・楽器・・・なんてものにてんで興味が湧かない。

子供はいるが子孫の繁栄を願っているわけでもなく、この世に何かを残してから死にたいとも思わない。

 

陽水ならここで『でも麻雀だけはやる、いや~たまらん麻雀』とオチを付けて締めくくるのだが、そういったサービスをしようとも思わない。

 

釈迦は無明の原因として、むさぼり・怒り・愚かさを三毒として説いた。

これらは欲・怒・迷・思・見解の五つの執着として現れるという。

 

今の私は前の三つ、欲・怒り・迷いはかなり冷めている。

欲は書いた通りで、怒りは15年ほど前から徐々に制御する技を覚えた。

迷うことも道路以外ほとんどない。

あれこれ迷うのはどちらでもよいからと了解している。

 

思い、思念はどうだろう。

これは私の内なる執着をあらわすものかもしれない。

さらに見解、つまり考えることを止める、捨て去ることは中々難しい。

現に今もこうして思いを整理して書いている。

私の場合、私を束縛しているのはこの思量だろう。

これがむさぼり・怒りが止んでも愚かさが消えない理由だろう。

 

残る欲があるとすれば、ともすれば自己中心的になりやすい心を制御し、主観・客観に捕らわれず、真に『この世に遊ぶもの』になることを目指したい。

 

何の役にも立たないけれど、苦しむ人が減ることを願ってみたり、あとは全ての素粒子に感謝と祈りを届けつつ、残りの人生を過ごせればと思っている。