《MY天皇論》

生まれる前からあったものを、そこに生まれたからと言って無批判に受け入れなければならないものではないが、かといって全てをそのまま受け入れるべきでもない。
新世界の黒人もそうだし、君主制などもそうだ。
天皇制も誰彼たちが寄って考え、作って行ったのだろう。 
世界を見ても王族のいる国は数多くある。
それは私は、肉体と精神のバランスの為に必要だったからと考えている。肉体つまり力、軍隊・警察・自衛隊もののふ・さぶらひなど集団を維持するうえで、内外の反対勢力などに対して行使しなければならない武力を磨く集団である。
精神、それは予言であったり占い、祈りなどを使い、人智で制御できない病気、老化、運命のようなものに怯える気持ちを安心させる作用があったであろうシャーマニズムの形成である。
元来それらは一つであったはずだ。
強いものが集団を治め、人民をより良い未来に導くべく働いていたはずだ。
スサノオノミコト~ヒミコくらいまでは。
ところがただ強いだけで利己的な、人心を掌握できないものが現れる。
曽我氏と物部氏の争いは宗教対立と言われているが、私は権力闘争に過ぎないと思っている。
そこで大化の改新以降生まれたのが二元制だろう。
平氏~源氏~~~~徳川、日本は長く天皇を別に置き、政治は幕府に任せるという方法を取ってきた。 
現在のイギリスなどもそうなっている。
二か所にその中枢を置くと、集団は円ではなく楕円形になる。
つまり集団内の『個』には逃げ場があるのだ。
あるときは宗教的精神を軸に生き、あるときは実利を求めて生きる。
困ったときの何とやらである。 
ところが力を手に入れたほうの人たちは、心も手に入れたくなる。
ミャンマー軍のクーデター、中国、北朝鮮などの偽りの共産国家、なんとか昔に戻りたいロシア、密教を利用した空海法華経を我田引水した日蓮などもそうかもしれない。 
本当は肉体と精神を統一させるものは芸術だけなのだ。
絵画も音楽も芝居も映画も体を使って心を表現する手段である。
だから崇高な精神の宿らない表現者・表現物は、自己顕示の欲しか表せない。
必要悪とは言わないし、あってもなくてもよいが、あった方が世の中を安定させる漬物石のような存在で、人畜無害ならあっても良いもの。
軍が率いる国家・世界よりも相当マシであり、今のところ他にもっと良い集団形成方法が見当たらないので、まぁいいか~というような体制、それが天皇制と私は考えている。
 
それに休日も1日増えるから、なお良しとしよう。
 
蛇足だが、私は天皇の男女はもちろん問わないが、出来れば女性の方がうまく行きそうな気がする。