《年の瀬無題 2021/12/19》
うまく言えないが、才能や美ぼう、仕事や財産、名声や標榜、肉親の存在や愛の多寡、そんなものでは命は救われないのなら、人はいったい何を糧に生きてゆけばいいのだろうか?
釈迦は『自灯明、法灯明』と言った。
自分自身と真理を拠り所にせよという。
ではどうすれば坊主にならないのでそれができるのか?
それをもっと分かりやすく説いておいて欲しかった。
ほとんどの人は自分の行動を、他者との関係の中で成り立たせているだろう。
自分の中の何を確立すれば自分だけを尊び、なおかつ他人ともうまくやって行けるのだろう?
そもそもみんながみんな真理を理解できるのだろうか?
すべてのものは移りゆく。
それが理解できたからと言って命は救えるのだろうか?
誰しも自分が何なのか、真理は何なのか、そんな事を気にかけてばかりでは生きていない。
そこに闇が生まれ、潜み、隙が膨らむのだろうか?
今のコロナ堝、人は皆長い長いトンネルの中にいる。
心を蝕まれた人も多いだろう。
ただでさえ無理を続けているのだ。
休めよ、逃げよ。
自分で自分を縛らないで、堂々とエスケープしてはどうか?
お前がお前を生んだのではないだろう。
お前は生まれてきた。
アイ、ワズ、ボーン。
生きるとはあくまでも受け身なのだと思う。
お前が自ら死ぬのはお門違い。
その与えられた命を全うすることも人の勤めではないだろうか。
そんな言葉も空しくなるニュースが今日、この冬一番の寒空を駆けめぐっている。